我?
どーもゴン太です。
我思うゆえに我あり。これはデカルトの方法序説によると
私という存在がいる証明として考える私がいるからいるんじゃないのあたしみたいな話です。
しかしながら我々の体というのは我々の意識だけでは生きて行くことはできない。
我々の意識(または精神)というのは我々の本の一部である。動け!!腸!と言ったところでなかなか腸は動かないのです。だから便秘は世の中から無くなりません。
我々が知覚する要するに意識に上るまで0.5秒ほどかかるそうです。脳が認識するのはモット早いはずですが、我々は無意識ですでに行動の企画や決定をすでに行っているのです。
我々が体をコントロールしているのではなく我々の無意識が意識を作り出し、我々をコントロールしている方が正しいのかもしれません。
我思う前に我あり。
我々の体は37兆個の細胞が構成しておりますが、普段はその細胞一つ一つに想いを馳せることはないでしょう。
さて美容医療はもしかすると無意識の分野も変えて行くのかもしれません。
(ちょっとだいぶ強引な気もしますが。)